ACIMレッスン221-私の心に平安が訪れますように。雑念がすべて静まりますように。

2018-11-15

独り身には堪える冬!?近づく

急に寒くなってきた。街にはマフラーや手袋をした人の姿も見かけるようになった。

冬が来る!

北海道では昨日初雪が降ったとか。これは平年より22日も遅いらしい。北海道の冬は長い。

冬は、ひとり暮らしにとっては、きびしい季節だ。ひとりが気楽だといっても、クリスマスやお正月があるし、家族であったまろうという企画ががんがん流されると、やっぱり独り身の冷えを感じる(勝手だ)。

同じひとり暮らしで無職や在宅ワークの方のブログを覗いたりしているが、その中に猫を飼っている方がいらして、うらやまし~、と思う。

あぁ、ソファに寝そべっているとき、にゃんこさんが私の胸やのど元のあたりまで登ってきて、どっかと座る感覚、また味わいたい。

当マンション、築25年経っているけれど、管理規約でペット禁止。ざんねん。

この前、エントランスで犬を抱えている方とすれ違ったけれど、あれは、いったいー??

飼っていいんなら、私もにゃんこさんにいてもらいたいなぁ。

今はぬいぐるみのにゃんこさんが、二人。

かわいくないところが、気に入っている。

ACIMワーク221-私の心に平安が訪れますように。雑念がすべて静まりますように。

第2部では、「言葉はあまり意味をもたなく」なり、「演習を単なる出発点とする」とされている。演習を導入のきっかけとして用いて、「真理の直接的体験」を追求する。

説明文は難しいけれど、「概念はある程度学んだから、神そのものを感じることにワーク時間を使いましょう」ということだと思う。

レッスン221の主題概念の「私の心に平安が訪れますように。雑念がすべて静まりますように。」というのは、まさに私に必要な祈りのことばだ。

ワーク中や意識がある時は、感謝して聖霊のアドバイスに従おうと思っているけれど、気づくと、不安と恐怖と罪悪感でぐるぐるしてしまっている。

ACIMっぽい自分と、ACIMっぽくない自分の間を行ったり来たりして、随分なエネルギーロスだと思う。

私が非常に疲れやすいのは、そのためのあるのかな。

実は赦したくないのだ、と気づく

一昨日の「赦すとは何か」のダイアリーに「ネガティブな感情を感じた時は、チャンス到来!なんだけど、私はその感情を感じること自体が嫌で、赦しのチャンスからも逃げている気がする。」と書いた。

あとで、それは私がとりもなおさず、「赦したくないからだ」と気づいた。

赦したくないと思っているから、赦しのチャンスに出会わないよう逃げ回っているのだ。

L221をやった時のメモにも「私はACIMの勉強をしている体で、それは限定的なもので、その実エゴの殻に引きこもりエゴを守っていたのか?」とある。エゴをさらに分厚くしているのだとしたら、あ゛~、それはまずい。

そして、その後に「ACIMを見つけられたのだから、自信を持て」とも書いていた。

揺れながら進むというのは、まだまだ続きそう。

ACIMレッスン220-レッスン200の復習

2018-11-14

あ、レッスン220、飛ばしてた!レッスン220―レッスン200の復習

あれっ?

今気づいた。

レッスン220のダイアリー抜かしてた!

やっと第2部に入って、先に進めると思っていたけど。

レッスン220ってー? レッスン200の復習。

(レッスン200)神の平安のほかに平安はない。

この大事なワークをすっ飛ばしていたとは…。

いつやってたんだっけ?

10/25~28だった。すでに半月経っている。

その時のノートを見返すと、経済面の不安感&働いていない罪悪感(世間に顔向けできない)と、「感謝しながら自由にやりたいことをやっていいんだ」が交互に出てきている。両方本心だ。

10/26のワークのメモには、

「(私は)もっともやりたいことをやっていい。」と書いていて、

「それは、おそらく、

ACIMの学習者である私が、

書く、

話す、

カウンセリングやリーディング?

といったこれまでやってきたことを、ACIMの視点からやる。

たぶんそうしたことに関すること。」

…と書いて、マーカーで囲んである。

そして、続けて、

「おカネは幻想だ。

それがなくなることを心配するより、

自己表現に伴う恐怖を(ひとつずつ)とりのぞけ、

表現することによって」

とある。

でも、やっぱり不安感のほうが強くなって、この直後に近所の倉庫事務の求人を見つけて応募したんだった。

思えば、ずっとずっと揺れている。

そしてその揺れ幅は大きくなっている。

「問題」は、つり橋の上で恐怖から固まっているかのように、前にも後ろにも進めないでいることだ。

同じ時間という幻想がすぎるなら、そしてまだおカネをいう幻想が手元にあるなら、もっと自由にやりたいことをやってみればいいのに!

ただ固まって、自分を追い込んでいる。

ばかみたい。

開かれた目で見さえすれば、あなたを迎え入れようとして扉が難なく開き、目の前に天国が見出せるというときに、地獄を延々と探しまわるのはあまりに愚かなことではないだろうか。」(L220-3-6)

今レッスン200を開いて目についたところ。

しばし、気を落ち着けて直感を遊ばせてみようか。

やりたいことはすぐに形にならなくとも、種を蒔き、試行錯誤しないことには見当もつかないのだから。

若い頃自分探しをしたり夢に向かうテーマって、アニメなんかでも目にするけど、還暦に近づいてこれって、かなりイタい人だ。

人には言えない、と思う。

いーじゃないか、言う必要もないんだから。

すでに十分イタイんだから、もう少しイタくなったって!

第2部-1.赦しとは何か

2018-11-13

11月の色えんぴつ画講座

今日は月一度の色えんぴつ画講座の日だった。

今日の生徒は8名。風景画、クリスマスカード、家猫をモチーフとした年賀状などなど、みんな思い思いのものを描いている。

私は人物画の続き。

先生に教えていただいたとおり、青赤黄+白黒の5色を使って、青→赤→黄色→黒→白の順に色を重ねていった。

先生は、褒めて伸ばす指導法で、それぞれのいいところを言ってくれる。だから楽しい。(生徒みんな大人だし、趣味だし。厳しくされたらいなくなっちゃう…(^_^;))

落書き帳に落書きを描くように、気負わず日常的にたくさん描くのが上達のコツ、と先生の小さなラフスケッチ帳を見せてもらった。

意外だった。

絵って、音楽と同じように才能かな、と思っていたから。

この歳でも伸びしろがあるのか…

私は写真を写して描いているけど、クラスにはまったく何にも見ないで自分のイマジネーションだけでいろんなものを組み合わせて不思議な素敵な絵を描かれる方がいる。

ただ写すのじゃなくて、そうやって描けるようになったらすごい楽しいだろうな~と思う。

赦しとは何か

さてさて。

ワークブック第2部では、「毎日のレッスンとその後に訪れる言葉を超えた深い体験の時間に加えて、時折、特別な関連テーマの解説が挿入される。」(第2部序文11-2)とある。

その最初が「赦しとは何か

1pの短い文章に「赦し」が書かれている。

赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起ってはいなかったと認識する。」(第2部、1-1)

この文が赦しの根幹であり、『奇跡講座』ワーク全体の根幹でもある。

為されたことを許してあげるのではなく、それは為されてはいないのだ、と認めること。

赦しは、罪をただ虚偽と見るので、それを手放すのみである。」(第2部、1-6)

観念的には、そうかな、と思える。

が!これが、非常に、非常にむずかしい。

だって、現に今目の前で起っていることだから。

事が起こった時に、押し寄せてくる感情に飲まれてしまって、それが夢だとは瞬時に思い出せない。

どんなことがあっても、「本当は起っていない」とはなかなか…。

赦しの手順はシンプルで、

  1. 思い出す
  2. 手放す
  3. 聖霊におまかせ

の3ステップだ。

悪い魔法の解毒みたい。

感情がネガティブに振れたときは、悪い魔法を見破るチャンスで、その時に魔法を解くおまじないをする。

私たちは、巨大なゲームのなかにいるようなもので、それは赦しゲーム。聖霊のアドバイスを得ながら、赦して赦してクリアしていく。

ネガティブな感情を感じた時は、チャンス到来!なんだけど、私はその感情を感じること自体が嫌で、赦しのチャンスからも逃げている気がする。

畳の上で、水泳は上達しない。

古くからの言葉で言うと、習うより慣れろ、か?

ふと思った。絵も、赦しも、習うより慣れろ?

パソコンの中ってこうなってたんだ

2018-11-12

「OSとハードウェアの管理」講座

週末、東京都のキャリアアップ講習の「OSとハードウェアの管理」という講座を受講した。

夏に同じくキャリアアップ講習のウェブ講座を受けた際、隣になった方と、「新しいパソコンを買ったのだけど、初期設定とかよくわからなくて…」と話していたら、「この講座受けるといいよ」と勧められたのだ。

ネットを使って少しでも収入を得るしくみが作られないかと思って、数年前からパソコンやウェブサイトの短期講座を受講している。

けど、どうも、私にはネットビジネスに必要なセンスや時代感覚が乏しいようで(^_^;)

インスタグラムもfacebookも、ツイッターもやってないし。

今どきは、自分で単独のネットショップを作ってモノを売るというより、メルカリやラクマで売ったりした方が早いんじゃ…?

そもそも、ウェブサイトの勉強をしても、扱う商品が思いつかない。

ありゃ、いつもの本末転倒??いったい何をやってんだか…。

それでも、サイトづくりの勉強はおもしろいし、講座を受けるだけで少しできる人になった気がして満足していた。何度もやらないと覚えられないけれど、いつか自在にサイトが作られたらいいな、と思っている。

パソコン解体、へー、こうなっているんだ!

週末受けた講座では、パソコンの解体をした。

え、この講座こんな内容だったの~!?と少し面喰ったけど、面白かった!

初めにパソコンの内部の構造とそれぞれの部品の説明を聞いて、午後グループごと解体して、再組み立て。

外側のパネルを外して、メモリ、フラットケーブル、CPUファン、CPU、ハードディスク、光学ドライブ…とどんどん取り外していく。

これまでパソコンを動かすことには関心があったけど、この箱の中がどうなっているかなんて考えたこともなかった。

中はけっこう空間が多いんだな~、CPUってパソコンの頭脳って言ってたけど、薄いチョコレートくらい小さいんだな、などなど新鮮だった。

他のグループが解体→組み立ての後、再起動してもうまく動作してなくて手こずっている中、こっちはサクッとできた。

なにしろ、私の他は若い男子二人で、手慣れているみたいだったから。

はー、まったく敵わない。私ひとりだったら、たぶん、元に戻せなくなっていただろう。

ネットで収入プロジェクトからはますます遠回りしているようだけれど、そしてけっこう悠長なことしてるな、とも思うけど、興味が湧いた。

世の中知らないことだらけだ。

最近の私はなんでも幻想だと斜に構えていた。けど、もっと驚いたり楽しんでいいんだ、と思った。

ワークの「赦しとは何か」を書こうと思っていたけど、気づいたらパソコン講座について長々と書いていた。

今やっているワークと、ブログに書くワークにどんどん乖離ができて、埋めなきゃ、と焦る。

自分だけのことで、どーでもいいことだけど!

第2部へ

2018-11-11

ようやく第2部に入った。

この『奇跡講座』ワークプロジェクトは、学びはゆっくりながら、気づけば私の根幹になっている。

これは宗教ではない。自分の霊性の学びだという。

組織に属する必要がなく“自学自習の書”というのが、私に合っていると思う。

第2部では、あまり言葉はあまり意味を持たなくなり、神なる真理の直接的体験を求めるという。ワークはその直接的体験に向けて自分の内側に入るための導入部として機能する。

これからも、朝と夜に好きなだけの時間を神と過ごすことを素づけていく。」(第2部序文2-6)「また日中は、忘れずに一時間ごとに神を思い出す。第2部序文2-9)

初回のワーク時は、第2部に少し苦手意識を持っていた。

「父なる神」としての擬人化がさらに強まった感じがあり、それがなじまなかったのだ。今回はどうかな。

好きなフレーズはこれ。

神を迎えることが自分の意志だと認識したあなたを訪れることが、神の意志である。そしてたとえ漠然とでも、それが自分の意志だと見なしていなかったら、あなたは決してここまでこられなかったはずである。」(第2部序文5-6,7)

この後半の文に自信と勇気がもらえる。

第1巡目にどんなことを書いているかな?と過去ノートを見てみたら、2015年3月5日に

「今日から第2部だ。“神の声をきく”というが、聖霊の声もキャッチできていないのに…」というメモ書きがあった。

ACIMのブログを作りたいとも書いていた。それに対して、「こわい、どのスタンス(立ち位置)で書いたらいいのかが、まずわからない。」とも。

私、変わってないな(^_^;)

でも、ともかくACIMから離れずやっている。

世間的には紛れもなく退化で、自分的には退化なんだか進化なんだかわからないけど。

(“進化”と入力しようとしたら、私のパソコンは変換がおかしくて何度入れようととても“芯化”になってしまった。)

もしかして、ACIM学習とは芯に向かうこと=芯化なのかな?

ACIMワーク復習Ⅵおわり-レッスン181~200の復習

2018-11-08

やぁ~と、復習Ⅵが終わった!

復習Ⅵのレッスン181~200の主題概念は下記のとおり(日本語は『奇跡講座ワークブック編』より)。

自分なりのワークが、ワークの体をなしているかどうか、わからないけれど。離れずに続けられていること、少しずつ進んでいることがうれしい。

今見たら、ひとつ前の復習Ⅴを終えたのが、今年の春で桜の画像を載せていた。今は秋。先日行った巣鴨(菊祭り)の画像を載せておこう。

とにかく終わらせたいと思い先を急いでいた1巡目とちがって、1つのワークに数日かけているから、前回より主題概念が浸透しているようにも感じる。

これで、第1部がおわり、というのもうれしい。

復習Ⅵには、各レッスンをその概念で始め、その概念で終わらせる機軸となる概念があった。

私は肉体ではない。私は自由である。私は今も神が創造したままの私なのだから。

復習Ⅵの間はずっとこの概念を唱えていたので、少しでも浸透していたらいいと思う。薄皮を剥ぐように少しずつ。少しずつ。本当のアイデンティティに近づきたい。

 日本語 英語

181

私は、自分とひとつである兄弟たちを信頼する。181 I trust my brothers, who are one with me.
182私は一瞬のあいだ静まり、家に帰る。182I will be still an instant and go home.
183私は神の名と私自身の名に呼びかける。183I call upon God's Name and on my own.
184神の名は、私が受け継いだ賜物である。184The Name of God is my inheritance.
185私は神の平安を欲する。185 I want the peace of God.
186世界の救済は私にかかっている。186Salvation of the world depends on me.
187私は世界を祝福する。それは、私が自分を祝福しているからである。187I bless the world because I bless myself.
188神の平安は今、私の中に輝いている。188The peace of God is shining in me now.
189私は今、自分の中に神の愛を感じる。189I feel the Love of God within me now.
190私は苦痛のかわりに神の喜びを選択する。190I choose the joy of God instead of pain.
191私は神ご自身の聖なる子である。191I am the holy Son of God Himself.
192私には、神が私に全うさせようとする 機能はたらきがある。192I have a function God would have me fill.
193すべてのものごとは、神が私に学ばせようとするレッスンである。193All things are lessons God would have me learn.
194私は未来を神の手にゆだねる。194I place the future in the Hands of God.
195愛は私が感謝の内に歩む道である。195Love is the way I walk in gratitude.
196私が十字架にかけることのできる相手は、私自身だけである。196It can be but myself I crucify.
197私が得られる 報酬ものは、自分自身からの感謝のみである。197It can be but my gratitude I earn.
198私の咎めだけが私を傷つける。198Only my condemnation injures me.
199私は肉体ではない。私は自由である。199I am not a body. I am free.
200神の平安以外に平安はない。200There is no peace except the peace of God.

バイト面接、履歴書書いたの10年ぶり!?、そして

2018-11-07

アルバイトの面接

月曜日午後いち。アルバイトの面接。

最後に履歴書を書いたのは10年以上前だ。写真ボックスで、3×4㎝の写真も撮って。

職種は、倉庫に併設された事務所内での事務。自宅から12分くらい。週3日からOK。

白ブラウスに黒ジャケット、紺のスカートにパンプスといういでたちで、えらくキンチョーして行った。

男性ばかり3人の小さな事務所だった。働きやすそうなアットホームな雰囲気だった。

「慣れてもらうのに、時間短めで金曜からでも来てもらおうか」と話しあっている。もう決まったかのような口調だ。

あ~、はい、喜んで参ります。

私が自分のフリーランス仕事のために作った会社がそのままで休眠状態に近いけれど閉じてはいないことが、やや引っかかる感じだった。

正直に書かない方がよかったか。けど、感触は悪くない。

「繁忙期は週4日、場合によっては5日ってのも来られますか?」

はい、なるべく合わせるようにいたします。

面接というのは、つい流れで相手方に合わせてしまうものだ。

具体的な仕事の流れを教えてもらい、

「他にも数名応募の方がいます、なるべく早く連絡します」とのことで帰っていた。

キンチョーが解けて、疲れた~

たった一時間ほどの面接だったけど、帰宅後どっと疲れが出た。そして安堵からなのか、すごい眠気。外が暗くなるまで、動けず横になっていた。

あ~、私、勤めるのか(時間で働くのが苦手で、時給換算すれば500円に満たないこともある請負仕事のほうを好んでやってきたのだ)

金曜から?

月水金、になるのかな?

だったら、平日、泊りの旅行のひとつでも行っとばよかったかな。

固定収入久しぶり、うれしいな。

この年齢の私を雇ってくれるのだから、まじめに仕事しよう。早く仕事を覚えて役に立てるようにしよう。

ちゃんと…

睡魔のなかで、というより眠りながら、これからのことをいろいろ考えていた。

フラレた!?残念だけど、、、これでいい

昨日の夕方、外出先から帰ってしばらくして、面接していただいた会社からのメールを発見。

「さっそくですが選考結果について連絡させていただきました。 
大変恐縮ながら、今回はご縁がなかったということで 
お見送りさせていただければと存じます。 」

!?
「このたび多数のご応募をいただいていたこともあり、 
より適性に合ったと判断した方で決定いたしました次第です。 」

へっ、落ちた?

すぐ来て、みたいなトーンだったから、キツネにつままれたみたいだった。

でも、複数のなかで選ぶのだから、当然そんなこともありなん。

私がひとり目だったのかな。そして、続いて他の方に合ったら、こっちのほうがいいじゃん、となったとしてもおかしくない。

とはいえ、彼氏から突然フラレたみたいな気分だった。

しかし~!そもそも、すべて自分が見せている夢なのだから、このストーリーの監督は私だ。俳優は私の指示どおり動いたまでだ。

すでに“そこで働く気”を作っていたから、正直残念だった。

一方で、ちょっとだけ、ほっとしている自分もいた。

そもそもおカネがなくなる恐怖感から、ポチっとした。

でも、1日に出かけた「小さなこころ旅」では、「ふくろうの森」カフェで自称「旅する発酵料理家」の美しいカフェ店員さんに、「リスクをとって好きな道に進んでいいのよ」と、マジカルなお茶で背中を押された。

その方向と、今回のバイトは道が逆行していると言えなくもなかった。

そう…、これでよかったんだ。

引きこもっていたのが、面接まで行けたというのは、ある意味前進だし。

いい歳して何やってんだか、とも思うけど。変わり者偏差値上昇中、、もう歳だって気にしなくてもいいんだよな~

小さなこころ旅 ③

2018-11-05

「ふくろうの森」カフェへ

秦野市市営の無料足湯では、常連さんの会話に「ふくろうの森」というワードが飛び交っていた。

お店かなにかかな?

聞いてみると、近くにあるカフェらしい。音楽をテーマにしているとか?

ちょうどどこかでお茶でも…と思っていたところ。行ってみることにした。

ものの3分。小さな建物の2階だった。勝手に広い空間を想像していたけど、イメージとはちがってた。

中は狭めで薄暗くて、小さなこんもりとした森の感じと言えなくもなかった。

中には女性の店員さんの知りあいと思しき男性客ひとり。

店員さんにオリジナルブレンド薬膳茶をおすすめされた。

 

オリジナル薬膳茶を処方してもらった

カルテみたいな紙に体調についての項目が並んでいる。気になるものにチェックを入れていくと、それに合わせてブレンドしてくれるのだという。

なんだか、マジカルなお店だな、と思った。店員さんはたおやかできれいな顔立ちの方で、見た瞬間「あ、魔法夫人だ!」と思った。(魔女っぽいけど、和風だから、魔法夫人)

彼女が、私用に調合してくれたお茶は、

  • ローズピップ
  • ゴジベリー
  • はすの葉茶
  • 金銀花
  • 蓮芯茶
  • よもぎ
  • 胎菊花
  • くこの実

のブレンド。なんだかえらいゴージャスだ。浄化やリラックスの効果があるらしい。

まほう屋さんで、まほうの飲み物を出された気分だった。

一口いただくと、ローズヒップの味なのか甘酸っぱい。

そして心と体にふっと何か広がる感じがした。

自分にキャッチフレーズを付けて発信すると

男性客が店を出て二人きりになってから、彼女と話しこんだ。

この店は、オーナーが別にいて、店員さんは曜日ごとに変わるのだそう。彼女は、水木の担当だという。

去年、高給だった渋谷のアパレル会社を辞めて、鶴巻温泉に引っ越して来たこと。

この店は明日でちょうど開業一周年だということ。

年末年始に11日間のヴィパッサナーの瞑想合宿に申し込んだこと、などなど、聞いた。

おもしろいなと思ったのは、

大量生産大量消費志向だったアパレル会社が合わなくなったと感じ、不安もあったけれど、衣食住のなかで日本古来のよいものを追求したい考えと、自分に「旅する発酵料理家」というキャッチフレーズをつけカフェ店員の傍ら、この一年活動してきた。

そうしたら、いろんなものが回転し始めて、知り合いも増えて発酵やアートなどのワークショップなどの依頼も増えてきた。自分らしさを追求してきた活動が具体的なかたちになってきた、と彼女が話してくれたこと。

「『くみあわせ』だと思んです。」と彼女。

発酵に興味があり、料理にも関心があり、それで衣服のデザイナーの経験があって、古民家にも関心がある。そういうものを全部組み合わせて、自分なりの発信をした。それが唯一無二のオリジナルとして育っていると。

「この一年、リスクを取って、自分が何者かを名乗ってきてよかった。手ごたえを感じているんです。」

私も“発信”したいのだ

彼女の話を聞いて、キャッチフレーズを付けて自ら発信するというスタンスが、私に欠けているものだと感じた。彼女がそういうのもありだよ、と見せてくれた気がした。

自分につけたいキャッチフレーズ―、私だったら何だろ?

「旅する『奇跡講座』学習者」かな?それじゃあ当たり前すぎるか、旅もしてないし。

一見抽象的で難解な『奇跡講座』とこの世の日常生活をつなぎたいという思いがある。それは、楽しいことや美しいことを通じてできたらいいと思う。

思っているだけじゃ、人生終わってしまう。

そう、私も彼女のように“発信”したいのだ。

それを確認する旅だったのかな。

家路に着く頃には外はもう暗くなっていた。駅のホームから燃えるような夕焼けが見えた。

たった6時間位だったけど、けっこう遠くまで行けた。

なんか背中をだれかに押された気がした旅だった。

 

 

小さなこころ旅 ②

2018-11-03

月曜、バイトの面接に行くことに

11月1日慌てて、ささやかな一日旅に来たのには、もう一つわけがあった。

月曜日バイトの面接に行くことになったのだ。

31日ネットの求人サイトで家の近くの募集を目にして、ポチっと押してしまった。そしたらその日のうちに、月曜日に面接にいらしてください、というメールが。

フリーランスの仕事がここ数年で減少、それをそのまんまにしていたことは前にもブログに書いたと思う。

複数の依頼先の仕事をこなすのは難しくなっていたし、仕事でACIMワークが中断することが何度かあって、時間ができたことを喜んでいた。そして気づけば無職状態に。印税とかたまーに昔やった仕事の収入が入るけどほぼ無収入。

今年はマンション住み替えの(プラスの)差額が思いのほか出て、それを使いながら生活している。これを食いつぶす前に、在宅で何かできる収入の得方はないか、と思いつつ、工夫や試行錯誤ができず形になっていない。

まぁ、生きられるうちはいいや、と、やりたいことだけやって自由を楽しんでいたのだ。

それが、面接!?

今の時代は、電話も要らず、ポチっとするだけでいいから身構えなく応募できる。

会ってくれるというありがたさと、キンチョーと。

週3日のアルバイトとはいえ、私に務まるんだろうか。気力、体力なし。いまやすっかりわがまま放題で、協調性もトボシイ。

面接こわい。もし、もし、勤務することになったら…

そういった諸々のキンチョー感から、心のプチ旅なら今!と思って、翌日空を見上げて、飛び出して来たのだ。

学生時代の町に行けば、自分が好奇心とやる気と人生に対する期待感に満ちていた、そのカケラを感じられるかと思ったけれど、年月が経ちすぎたためか、見つからなかった。

その頃の自分は、もはや自分じゃない、前世のようだ。

鶴巻温泉の足湯でじんわりあったまる

そして、近場で手軽に旅気分が味わえるところ、というので、鶴巻温泉の足湯へ。

秦野市の市営で2年前にできたらしい。大人10人くらいが入れるスペースで、女性ばかり4,5人入っていた。

靴下を脱いで入口で足を洗ってから、長めのスカートをたくしあげて、そろそろ足を入れる。

あったかーい。

温度は少し高めかな、あとで調べたら40℃とのこと。

は ふぁ~、気持ちいい。

10分も入っていたら、額にはじんわり汗が。ふらっと来てあったまっていけるこんな足湯ありがたい。

私が来る前からおいでで、出てもまだ入っておられた83歳だというおばあちゃまが「私、人見知りでね…、この前足がつってね、この温泉で治ったの」と来る人来る人に同じ話をくりかえしていた。

向かい側に入っていた、これまた常連だという女性が、にこっと笑って目配せした。

秋の平日の3時すぎ。なんか平和だ。

(小さなこころ旅 ③へつづく)

小さなこころ旅 ①

2018-11-02

秋晴れに誘われて、こころの旅

きのう、旅に行った。一日だけの小さな旅。

だれかがどこかに行ったという話を見聞きするたび、私もどっか行きたいなと思っていたのだ。

10月は、お盆帰省時の交通費のカード引き落としがあったり固定資産税の支払いがあったりと出費が多くて、1日だけとはいえ出かける気になれなかった(幻想!)。

そしてきのう11月1日。

空はぴっかーんと秋晴れ。

時計は11時。

いつも以上にトイレが近くて体調はイマイチすぐれないけど、すべてが万全に整うのを待っていられない。まごまごしてたらお昼になってしまう。

…、で、外へ。

行き先は、自分が18、19歳と短大時代2年間住んでいた神奈川県の町。新宿から約1時間だ。

別のところでもよかったんだけど、新しい場に行くのは緊張する。観光目的ではなく、少しだけ非日常気分を味わいたい、という気持ちだったから。

ビア&カフェBERGでランチ

まずは新宿駅で腹ごしらえ。

東口にあるビア&カフェBERGへ。

お昼時だし立席しか残ってないかと思っていたけど、すんなり座れた。いっつもすごい混雑で中に入るのも大変だったのだが、人の流れが変わったかな。

頼んだのは、一日限定30食?のエッセンセットに自然卵のゆで卵つけて。(842円+57円)

ずっと行きたくて行けてなくてイメージが先行し過ぎてた。コ―フンして、味がよくわからなかった。もっとゆっくりいただけばよかった。

健康志向のためか味が薄くなりすぎてたような。レバーパテはおいしかった!

始発列車の列に並んで、席に着く。

『神の使者』は何度も再読しているけど、こころの旅のお供はやっぱりこれ。分厚い本を開いて読み始める。

ゲイリーの家にいきなりアサンディッド・マスター、アーテンとパーサが現れて…30分位読んでいたが、

気づくとゆらゆら心地よい揺れを感じながら、うとうとしてた。

少しずつ緑が増えてきて、40年近く前に住んでいた町に着く。

学生時代の自分を訪ねるタイムトラベルでもあったが

初めて、母からの過干渉を離れてひとり暮らしを始めた町。初めてアルバイトをしたり、初めて男の子と二人で出かけてみたり。

これから自分を生きるんだ~、と高揚していた時代。ここに来たのには、そういう若かりし自分のカケラを見つけてみたくて、というのもあった。

駅前のシンボルだった魚屋さんが消えていた。

私のアパート(コーポ)はまだあった。屋根とドアはカフェオレ色に塗りなおされていた。

アパートから少し上った一面りんご畑だったところには家が並び、なぜか柿畑になっていた。それにしても空が澄んでいる。

衣料スーパーの前には、10円入れて動く子どもの乗り物があり、店頭ではお皿50円で売っている。“昭和感”が半端ない。もうすぐ平成も終わるけど。

なつかしいけれど、私の記憶力が悪いのとあまりにも日が経っていて、そこまでの感慨はない。

思えば…50代も後半。やっぱりえらい遠くに来ちゃったんだ、私。

18歳当時の私が、やが~ておばさんになった私が自分を訪ねてくると知っていたら、ちょっとしたホラーだな、と思った。

当時は自分が年を取ることを考えすらしなかった。

そして、『神の使者』に出会い『奇跡講座』のワークを始めてからは、あれもこれも、幻想…。

町をぐるっと回ると、小一時間でもう行くとこはなくなった。

で、となりの駅に無料の足湯ができたらしいことをネットで見て、行ってみることにした。

(小さなこころ旅 ②へつづく)