思い出したけど、忘れてしまったこと

2018-09-09

北海道の地震で東日本大震災時を思い出した

6日に起きた地震は、「北海道胆振東部地震」と名称づけられた。震度は震度6強から震度7へと訂正され、亡くなった方は37名、まだ安否不明の方もおられる。

一方、北海道全域で停電となったブラックアウトは2日後にはほぼ回復、新千歳空港では国内線に続いて国際線も再開、町に活気が戻りつつあるという。

でも液状化で家が傾いたり物が壊れたり、被災された個々人の生活は厳しいものがある。

私は、北海道地震の報道を見て、東日本大震災のことを思い出していた。

企業のテレビCMが消え、ACのCMがくりかえしくりかえし流され異様だったこと。

津波がすべてを飲みこんでいく怖ろしい映像。その後わかった福島第一原発の事故。そして政府や東電の対応。

テレビでは当初「メルトダウン」という言葉は決して使われず、「専門家」が「メルトダウンなどしていたら大変なこと」と何度も説明していた。

実際には翌日にはすでに1号機がメルトダウンしていたと思われる。原子力発電はCO2を出さずクリーンでしかも低コストと言われていたけれど、低コストどころか制御不能な怪物だった。

いかに自分の生活が電気に頼っているか。ひとたび地震を初めとする災害が起これば、電気や水が使えなくなり、店からは物が消えたちどころに生活が立ちいかなくなってしまうー。そのことに、あの時初めて気づいた。

「変わらなくちゃ」と思ったが、変わらずじまいだった

人間は頭がよくて、どんどんすごい道具を使って進化してきたはずだったけど、引きで見たら回し車をくるくる回しているねずみと変わらない。

動力は競争に勝つことだから、手段は変わってもそれが激しくなるだけなんだ。

東日本大震災の時、「大元でまちがっていた」「変えなくちゃ、変わらなくちゃ」と強く思ったのを覚えている。

43631ADA-A12B-4A6E-AE0F-C6A3F1255B50だけど、どう変えなくちゃーと思ったのか、今ではすっかり忘れてしまっている。あの頃(2011年3月24日)、心と頭を整理するのに書いたメモがあったと、引っ張り出したが、あの頃感じた気持ちがおぼろげにしか思い出せない。

あれだけのことがあったのに、私はそこから学んで変わることはしなかった(できなかった)。見たくないことをフェイドアウトさせ易きに流れてしまった。

あの頃は、『神の使者』とも『奇跡講座』ともまだ出会っておらず、災害はあるいは神の意志で浄化の一環なのか?と思っていた。

震災時、一瞬真っ当になって思い出したこと。それが思い出せない。

あれから『奇跡講座』に出会った。

神には一切関係ない。神はただ在る。

赦しにはレベルの差はなく、大きなことを赦すのもささいなことを赦すのも同じだと学んだ。

テキスト1-1-1には、「奇跡に難しさの序列はない。一つの奇跡がもう一つの奇跡よりも『難しい』とか『大きい』などということはない。」とある。

けれど、大災害が起こって辛い方、悲しい方、大変な思いをしている方々を見て、そう考えるのはやはり申し訳なく思う。

幻想ではあると知ったけど、あの東日本大震災の時感じたことや思い出したことで、私にとって、とっても大事なことがあった気がする。

だけどそれが思い出せない。

大災害で頭をなぐられ、一瞬だけ真っ当になったんだ、あの時。あの感じ。

一瞬思い出したことで、また忘れてしまった大事なこと。それって何だっけ。

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