『サラバ!』ー感動はしなかったけれど、問いかけてくる

2018-05-07

GW中『サラバ!』を読んだ

GWは美術館に行ったり、Webサイトデザインの講習を受けたり、マンション成約のおかげで緊張感が解け、気力、体力を回復することができた。

3年前の「アメトーーク」の「読書芸人」の回で、オードリー若林が絶賛していた西加奈子著『サラバ!』が読んでみたくなった。図書館に文庫化された本を予約していたら、何ヶ月か待ってGW直前に順番が来た。

上・中・下の3冊(単行本では上下2冊)に分かれた長編小説だ。描写が細かくて物語に入り込みやすく、上・中・下と一気に読んだ(中までは予約してあったけど、下は単行本の方で読んだ)。

主人公の歩(あゆむ)が生まれてから37歳になるまでを描く。過剰な自己承認欲求を持って常にトラブルを起こす姉と、母であることより女としての幸せを優先する母、静かに家族に尽くす父との4人家族を中心に話が進む。

上巻では、イラン、関西、エジプトと父親の赴任先が変わるが、子どもの目を通してみた世界がおもしろく、話に大きな展開がなくとも十分楽しめた。

うまく世渡りしてきた主人公の転落と再生

話が一気に転換するのは、下巻だ。これまで、イケメンで器用で何でもそこそここなし、学校でも常に「人気者の友人」というポジションを得て、「うまく」世間を渡っていた歩だが、頭髪が薄くなり出してから旗色が変わってきた。

強烈に主張しすぎる姉が世間で失敗ばかりしているのを反面教師として、自分は合格レベルをクリアしながらやってきたはずだった。それなのに「剥げ」という「マイナス点」を得てから、一気に自信を失い、フリーランスのライター業にも行き詰ってしまう。

一方で、歩から見てダメだったはずの、姉や母はもがきながらも自分なりの幸せを築いていく。

両親が離婚し家族がバラバラになった背景には、父が過去から引きずっていた罪悪感があった。父は償いとして出家した。

歩は、姉のアドバイスで、出家した父に会って過去の話を聞く。そして、幼少期を過ごしたエジプトに行き、そこで「サラバ!」を合言葉にしていた真の友ヤコブと再開し、小説を書くという自分の使命を見つけて再生していくーという話(自分なりの解釈)。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」

歩が再生するきっかけとなったのは、ずっと馬鹿にしていたはずの姉の「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」というアドバイスだ。これが、このお話のキーフレーズなのだと思う。

この本が気になっていたのは、どちらかと言えばクールに見えた若林さんが、「10代のクズを救う小説はよくあるけど、30代のクズを救えるのもう西さんだけですよ、日本で」「(30代のクズが)ボロボロ泣くんじゃないですかね」「私、泣きましたから」と言っていたからだ。

最後にどんな感動が待っているんだ、どこからか、どこだ、どこだ、と思っているうち、終わってしまった…

あれ、感動ポイントって、どこだったんだろう?

すごくおもしろかったし、こんな長いストーリーを組み立てて臨場感あふれる描写で書くなんて、すごい!

歩が自分の心に従って再び歩み出す姿に、よかったと思った。でも、感動したり、泣く、というのはなかった。

私が感動しなかった理由は?

私が感動しなかったのは、なんでかな?と考えた。

それは、今の私が主人公の歩より社会的に「クズ」だからだと思う。

その上、それに対して歩ほどの焦燥感や後ろめたさは持っていないから。

30歳代半ばの男、無職。性格もいいとは言えなそうだけど、まぁ、いいじゃん。

人のことを言えた立場じゃないのだ、私。

私にも、もちろん、後ろめたさや情けなさはある。世間の常識も知ってはいるつもり。

だけど、それでも、まあ、いいじゃない、と。

歩の奈落の底から再生までの気持ちに共鳴はできなかった。

この、まあ、いいじゃない、は、ACIMワークのおかげで私の内なる罪悪感が前より軽くなっているからなのかな?(社会的にはどんどんダメになっていて、それに対する葛藤もあるにはあるけど)

そして、歩には信じるものがなくそれを求めてエジプトに発ったけど、私にはACIMという信じるものがある、というのが、「ちがい」なのだろうか?

ACIMが信じるものだとしても、その姿勢ってゆるいよなぁ

それにしても、私のACIMへの姿勢はゆるい。歩の父親が出家して業に励むような熱はない。あるいは、歩の姉が毎日ヨガに励むような習慣化もない。

ACIMは私にとって趣味のひとつなのか。ふぁ…。

「僕の神様は、サラバだ。

これ以上ふさわしい言葉が、あるだろうか。

僕は生きている。僕は信じている。

僕は神様に出会い、出会った瞬間、別れを告げることが出来るのだ。

…(中略)…

『サラバ!』

僕たちは、「サラバ!」と共に、生きてゆく。」(『サラバ!』下巻62より)

「サラバ!」って何かな?

どういう意味があるのかな?

サラバ!-で、どうなんだ?

「さらば」は順接の仮定表現だ。「そうならば?」と問いかけてくる。

では、

私の「サラバ!」って―??

 

信じるものがあるなら、旗を揚げねば…ってことかな?

もっと思うところを表現するってこと?

「God is(神あり)」を私はどれくらい大切にできるかな?

それならば?

それならば?

それならば!?

なんなんだ?