ローン審査全滅と…私の罪悪感が足ひっぱってるかな?

2018-03-31

ローン×で、売却ふりだしへ

きのうの夕方、不動産屋さんから電話があった。マンションの買主さん、信用金庫も審査通らなかった、と。

先週都市銀行がだめだったということで、その後に信用金庫3行に申し込んでいたのだ。勤続年数の短さと副収入の多さ(自営と見なされてしまう)がネックになったとか。

ざんねん。やっぱりだめか~

マンションを売る際は、買主さんに、

まずネット情報などで関心をもってもらい→

内覧してもらい→

気に入ってもらい→

購入申込みをいただき→

ローン審査を受け→

ローンが通って→

契約

というのが一般的な流れになるが、内覧して気に入ってもらうまで行くのもなかなか。

それが、前回はローンはなんとか通ったものの契約前々日にドタキャン、今回はローン通らず、となんだか、こじらせてしまっている。

不動産を売る経験が少ないからよくわからないけど、こんなにとん挫するものなのかな、申込みもらったけどだめになるというのが、もう一回続いたら、不動産屋さんのやる気も萎えそうでこわい。

あ~あ、またふりだしかぁ。

気を取り直して、再スタートだ。

成約を止めているのは、私の罪悪感!?

…と朝、ワークをしていた時に、ふと思った。

この流れを止めているのは、私自身、私の罪悪感なんじゃないかと。

私は、この住まいが気に入っていた。だけど、築40年と古くなってしまった、そして世帯数が少なく高齢化も進んでいるから、数年のうちに万年役員にされてしまいそうだ。

それがいやで手放すことにした。4月に私の役員任期が終わる。そしたら、さっさと去ろう。

そのことについて、罪悪感を持っているのだ。今ここに住んでいる人たちと、新しく住民になる人へ。

とくに買主さんに「自分があまりよくない」と思っている物を押しつけていくような、そんな申し訳なさがある。

この世は自分の意識が投影されているのだから、マンション売却を阻んでいるのは、まさにこの私の罪悪感ではないかと思い当たった。

罪悪感が私をこのマンションに縛り付けている…。

しかしー、ACIMではこの罪悪感というものは、おしなべて実際には起っていない「神との分離」をこのゲンジツの世に映し出しているものだと学んだ。

だったら、気づいた時点で手放したらよいのではないかと思う。だけど、それがなかなか難しい。

なぜ?

この世は幻想だから…、という前提を突き詰めていくことへの恐れがある。また罪悪感から自分を責めることとそれに対する懲罰と償いのエネルギーが、この世で「人生」という営みそのものになっている気がした。

私にとって罪悪感はリアルだし、それを手放すのはいけないことのような気がしたのだ。

こう、ぐるぐる考えてしまっていること自体、かなりこじらせている。(エゴの大好物だ)

自意識をこじらせず、罪悪感を赦そう

ふと視点をずらせば、人の価値観はそれぞれ。

自分にとって、よくなくて手放したいと思っても、人にとっては「お買い得」かもしれない。

それに、これは、「私が売る」んじゃなくって、「お客さんが買う」かどうかだった。「売る」んじゃなくて、「売れる」。

あるいは、売れなければ→割安感が出るまで、価格を下げる。こう見れば、私の思いを絡め過ぎるのはどうよ、と思う。

もうしばらくしたら価格を下げ、なるたけ物件はきれいにして、情報を正確に出して、満足して買ってもらうこと。このシンプルさでいいはずだ。

そしてACIM学習者として行うべきは、やはり表面化している罪悪感を赦すこと。

赦すことがこのコースの根幹なのだから、四の五の言わず、「気づけば、赦すこと」だ。

この世の恐怖と罪悪感は、すべて実際には起きていない「神との分離」の現れ。

私は今も神さまとひとつだ。私が罪に感じる「原因」はない。

そして、ワークして感じたのは、「罪悪感の解毒剤は感謝」だと。これは聖霊さんのメッセージかな?

罪悪感を感じるひまがあったら、感謝しろ。

そう感じた。