レッスン166-私には、神の贈り物がゆだねられている。

2017-12-13

日本海側は大雪警報、本格的な冬がきた

今日も東京は快晴だけれど、母が暮らす日本海側は大雪や猛吹雪に警戒だということで、朝母に電話してみたけど、まださほどではないらしい。これから本格的な冬が始まる。

日本列島は縦に長いし山脈も多いし海岸も多いから、同じ季節の日本といってもその気候はまったくちがうなあ、と今さらだけれど思う。もっと日本の地理のこと、地理だけじゃなくて観光や産業など知ってもいいかもしれない。半世紀以上生きてきて基本的なことを知らないことを、よく感じる。

教養というまでもいかないことだけれど、中学生くらいのレベルの知識がちゃんとあったら、もっとわかって楽しいことや感じることがたくさんあるんじゃないか、と思う。

それでも「この世は幻想」というACIMの教えで、途中からどうでもよくなってしまうのだけど。それでも、せっかくこの世に生きているのだから、この世のことももっといろいろ知りたいと思う、最近。

レッスン166-私には、神の贈り物がゆだねられている。

レッスン166本文の概要―

私たちにはすべてのものが与えられている。

だけど、私たちの意志が神とひとつでなければ、そのギフトは受け取られない。

私たちはこの世が神の意志によって創造されたものだと思っているが、この世は神の意志は無関係で、実は存在すらしていない。

ただ、神とは無関係な偽りの信念によって作りだして、幻想を見ているにすぎないが、幻想を見るものはその幻想を守ることに必死で、神のギフトを受け取ることは、自分自身への裏切りを強いられることだと信じる。

そして、私たちが恐怖におびえているのは、まさにこの幻想の世にしがみついているから。それを手放して神からのギフトに気づいて自分のものとしさえすれば、すべての悩み、悲しみ、苦しみが終わるというのに。

上記のようなことは、ACIMワークブックの中で、手を変え品を変え、何度も何度も説明されている。

レッスン166中の「(この世を実在すると思う者が)さまよい続け、彼の周りのどこにでも見える虚しさを意識しつつ、あてどもなく歩み続けながら、自分のわずかばかりの取り分が減っていくのを知覚している。」という表現は、人生の後半に入った者の多くが感じているだろう心境をうまく表現していると思う。

私たちは、神のギフトが与えられており私たちを導く聖霊(ホーリースピリット)が耳元でその開き方を教えてくれているのに、「今、映画を見ている最中だから。」と耳を貸さないでいる。もちろんそれはホラー映画だ。

「彼は自分で選んだ道を進んでいるのであり、自由になりたければただ、誰が自分とともに歩んでいるかを認識し、自分の宝庫を開きさえすればよいのである。(L166-6-3)」

それを認めるのは、気づいた今だ。「惨めな自分こそ自分だと思ってきたが、それは自分の真のアイデンティティーではないのかもしれないとすら思えてくる。(L166-9-3)」

神からのギフトを次の誰かにつなげる役割

そして、後半にはこんな文章がある。

「あなたがどんなに恐れを抱こうとも、ただ一言「そうではない」と慈悲深く、やさしく答える存在が、あなたとともに歩いている。(L166-11-3)」

この文がレッスン166の中で最も私に響いた。

さらにレッスン166は、自分一人が神からのギフトに気づいてそれを受け入れるだけではなく、次にそれを他の誰かにつなげる役割を担うべきことが書かれている。

「しかしその存在は、さらにもう一つ、あなたが忘れていたことを思い出させる。(L166-12-1)」

「彼がやってきてあなたに差し出したものを、今度はあなたが与えることを学ばなければならない。これこそ彼が与えることを通して教えている学びである。(L166-12-3)」

次の誰かに与えてこそ、本当に受け取ることになる。

ハッピーでいることと感謝

そして、これを実践するには、受け取った者はハッピーでいること。

「もしあなたが病気であれば、あなたが彼らに癒しを与えずにおくことになる。あなたが何かを恐れるなら、それが彼かに自分たちの恐れは当然だと教えることになる。(L166-14-3,4)」

つい、復習もかねて、自分が響いたところを書きだすかたちになってしまった。

自分も身近な家族や友人も含め、この世は「問題」に溢れている。年齢のせいか、とくに「健康問題」が多い。

昨日「近くまで来たから会わない?」と電話があり夕ご飯をご一緒した年上の友人は、不整脈の治療でカテーテルアブレーションという手術を三度して、もう大丈夫と気持ちが前向きになった矢先の先月末に、また症状が出て救急車を呼んだという話だった。

同じひとり暮らし。しかも私より10こ上。不安な気持ちが伝わってきた。

でも、ACIMの教えは不安をやり過ごし(その幻想性を見てリアルにせずなるべく流すこと)、常にハッピーでいること、を教えている。

むずかしいことはできないけれど、シンプルに常にハッピーでいることは心がけられる。

いや、実はこれが一番むずかしいのだけれど…、

常にハッピーでいることを心がけよう。

ワークをして感じたこと(聖霊さんのメッセージ?)は、「感謝、感謝、感謝!」だった。

感謝を表すことと、感謝のきもちを受け取ること。これもまたこれまでの人生で苦手なことだけど、覚えている間は心がけようと思う。

 

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