レッスン144-レッスン127、128の復習

2017-09-04

求人サイトを覗く

9月に入ってぐっと涼しくなった。涼しいというより肌寒いくらい。

求人サイトをちらっと覗いたらいろんな形態のいろんな仕事があってぼーっとなってしまった。

50代となり体力気力に乏しく最近さらにどんくささに拍車がかかった私、しかもひとり生活が長くかなりわがままになっている私。そんな私に務まる仕事はあるだろうか。フリーランスとの仕事との兼ね合いはどうしよう、短期的に凌ぐためなのか、少しでも将来的に役立つものにするとしたら…などと考えだしたら、一歩も前に踏み出していないのに、ぐるぐるしてきた。

知らない間にひきこもりになっていて、世間自体に対する引け目がでかくなっている。この世を赦すどころか逆にリアルにしてしまっている。そういう自分になっていることに、改めて気づかされる。

対人恐怖、対世間恐怖…。表面上は何事もなくふるまっているけれど、実はそうなんだ。

ありがたいことにフリーランスの方では小さな仕事が入ったから、これをやりながら考えようと思う。

たかがバイトなのかもしれないけど、されどバイト。

自分の貴重な時間を何に費やすかは大事。だけど、人生の終わりを意識するようになり自分時間を大切に思う私と、労働者としての価値が下がり労働市場で求められない私の間には、大きなギャップがあるなぁ。

誕生日がある9月。おとめ座の時期。毎年、同じおとめ座の友だちとこの時期に会うのが恒例になっていて週末夕食をともにした。自分が思っていることを言葉して口にすると、友人のリアクションや言葉から気づくことが多い。コミュニケーションって大事だな(何をいまさら、だけど)と思う。

ひとり暮らし、フリーランスでは人と接する時間があまりにも少なく、それは私のようなわがままな内向性の者には楽なことではなるけれど、やはりよくないのかもしれないと思った。

私はきっともっと話しもっとコミュニケーションをとりたいのだ。そういう時期に来ているということかな。

レッスン144―レッスン127、128の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン144の2つの復習

L127)神の愛のほかに愛はない。

L128)私が見ているこの世界には私が望むものは何もない。

ワークをして

ワークをするにあたって、レッスン127と、128の本文を読み返したら、127はすんなり入ったけれど、128の方にはやはり抵抗感があった。

神の愛のほかに愛はない。

これを前提とすると、世の中で愛と言われているもののほとんどが愛ではないことになる。

私はいまだに「愛」がわからないけれど、暫定的に「無限に優しく」「無限に感謝に満ち」「無限に誠実な」と思ってイメージしている。

神の愛のほかに愛はない。

そして、私もその愛に含まれている。

そして、神の愛はわかち合われることで、この世で愛となるのかな~、とふと感じた。

仕事を探そうと考えてから、テンパってしまって、気持ちがざわざわしていた。ワークをすると少し落ち着く。

私が生活で直面することの次元と、ACIMのワークを行う次元というのも、けっこう遠いかな、と思う。

在宅ワークが主で会議や調査なども含む時給のよい仕事があって、昨日が説明会だった。興味はあったけれど、この世にがんがん攻めていくアグレッシブさが求められており気遅れがして、結局説明会にさえ申し込めなかった。

仕事とはこの社会の中で対象となるお客さまに何かしら価値あるものを提供する活動だ。

「私が見ているこの世界には私が望むものは何もない。」と唱えながら、仕事探しをする自分の姿は何だかシュールだ。

アファメーション

無限にやさしく、無限に感謝に満ち、無限に誠実で、無限に穏やかで、無限に豊かで。。そういうものに私はなりたい(パクリ)。

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