レッスン136-病気は真理に対抗する防衛である。

2017-08-12

レッスン136-病気は真理に対抗する防衛である。

ここでは、三日前最高気温37℃の猛暑日だったが、昨日は最高気温25℃。朝晩は涼しく秋のようだ。過ごしやすくてほっとひと息。猛暑日の日にギックリ腰になってしまい、よろよろ動いている。明日から帰省予定だから治さねば。。

レッスン136は「病気」の真の意味や原因について説いている。

これもまた、この世で定義されている病気とはまったく異なる。初めてACIMが病気について触れている部分を読んだ時は、その見方が厳しくてびっくりした。

病気は偶発的なものではない。すべての防衛と同じように、病気も自己欺瞞のための狂気のしくみである。そしてほかのすべての防衛の場合と同じく、病気の目的は実相を隠し、攻撃し、変化させ、無能にし、ゆがめ、捻じ曲げ、まとまりのない断片の寄せ集めへと貶めることにある。

そもそもこの世も私たちの身体も、誤った知覚により「在る」と感じているが、別のところから投影された「illusion」であり実在しない。

この宇宙も、この世も、私たちの身体も、エゴが真理から私たちを遠ざけるために作って誘った防衛のしくみだ。そして、その身体に起こる病も、また防衛であり「無意味な幻想」だという。

そして、病気を決断しているのは、私たち自身なのだという。もちろん、私たちは忘れているが。

「それは、あなたの信じたいことが、真理によって脅かされるかに見えるときに、あなたが振り回す魔法の杖である。

「それは、あなたが自分で下す選択であり、自分で立てる計画である。幻惑されているあなたの心の中で一瞬でも真理が思い出され、あなたの世界全体が揺さぶられて崩れ始めるように見えるその瞬間に、あなたが選ぶのがその計画である。

つまり、真理を見たくない、認めたくない。そのために、その心の歪みを自らの肉体に投影して気をそらしている、というのだ。

問題が実在する。そしてそれは心ではなく身体に。

というのが、病気が成果として成功させる「だまし」だ。

そして、その効果は、身体が実際に痛んだり苦しんだりする「結果」をもたらすために、ますますリアリティを持つ。「心」に比して「身体」の重要度がどんどん高まる。やっぱり身体が問題だ、この身体をどうにかしなくては、と。そして、私たちの偽りの知覚体系は温存され安泰となる。

ただ、真理が受け入れられれば、「病気」という防衛は必要がなくなり、身体は自ずと癒される。

レッスン136は、真理を認め心身に癒しを受ける練習をする。

ワークをして(病気…私の場合)

病気を患っている時は、とっても辛くそこから抜けたい、治りたいと願うものけど、それが心(エゴの部分)が高じた防衛策だとは…。

でもレッスン136のように見ると、すっきり理解しやすくなる。

ACIMワークをやり始めた翌年の2014年に私自身病が発覚したけれど、たしかにこれもまた自らの決断なのだ。思い返せばそんな気もする。

2010年頃から、占い会社と契約して手相占いをしていたが、そこに友人の紹介で鑑定に来た当時20代の女性がいた。甲状腺がんでむずかしい手術して、今も何ヶ月かに一度、東京に治療に来ているという。

友人の紹介ということでいつもよりじっくり時間をかけて話を聴いた。これから恋愛も結婚もしたい。彼女は私の目をしっかと見据えて、「この病気、治りますか」と聞いた。占いで答えるような内容じゃないと思った。

けど、私は「治ります」と答え、彼女の瞳を見つめ返した。

本当にそう感じたからだ。

でも、その日占いの仕事を終えた後、「怖い」と思った。

一つは「がん」という病気が怖かった。私は何年も前に著名な占い師さんに占ってもらって「がんになる」と言われていた。たかが占いなのだけど、それ以来、その「予言」を恐れてがんから逃げ回っていたのだ。だから、占いの場で患者であるお客様から話を聴くのも本当は避けたかった。

それと、医者でもない私が何の根拠もないのに「治ります」と言い切ったことも怖かった。不遜だ。占いでは直感で感じたことをしばしばお客様に返していたけれど「お前は何様のつもりだ」と自分を思うこともあった。

その数ヶ月後、甲状腺に腫れが見つかった。彼女と同じ病気になった。もちろん、その彼女を占ったことと因果関係があるわけではないのだけど、何か縁はあったのだと思う。彼女が治療を受けている主治医を紹介してもらって、診てもらっている。

そのお医者さんからは甲状腺の全摘手術をするように言われたけれど、自分でネットや本を調べて、今のところは「必要ない」と判断し、経過観察を続け今に至っている。大きさにはあまり変化がない。

自覚症状はいっさいない、数か月に一度の経過観察のみという、とてもありがたい状況なので、普段は自分が病気だということも忘れている。

でも、このワークで思い出した。

私もまた病気である必要はないんだ。病気になる必要もない。病気は自分を捻じ曲げているのだ。病気には真の原因も有意義な意図もない。

だから、私が自分を癒そうと決めて、治せるものなのだ。

癒そう。治そう。。。と、今、決めた。

アファメーション

必要ないものを削いでいこう。