レッスン124-私が神とひとつであることを、思い出せますように。

2017-07-07

そもそものおはなし

ACIMのワークはさまざまな方法や言い方で、私たちのちょっとした誤解が生み出したこのゲンジツの世からめざめるさせる練習を差し出してくれている。

すべては私たちを創造した「神」から離れてみたら…という気の迷いをして、それがなされてはいないのに「した」と思いこんだことから始まっている。「たいへんなことをしてしまった」「なんと怖ろしい」「いずれ罰せられるにちがいない」との思いを、その自分たちが作った偽のアイデンティティ、エゴが「ここではない、神から見つからない場所にかくしてあげるから、大丈夫」と言って作ったのが、この宇宙であり世の中であり、私たち個々の身体だ。

これらはいずれも、エゴが作った偽創造であり本当は存在しない。どんなにリアルに見えても幻だ。

「神は在る(God is)」そしてそれ以外はない。

究極的にシンプルな真理がある。

エゴが偽創造した「生身の」身体を持ち、その脳で考えている(と思っている)私たちが、神の使者である内なるホーリースピリットとの関係を結び直し自分の誤解に気づいていくのが、このコースだ。

この宇宙も私たちの身体も私たちにとっては圧倒的にリアルだ。そもそもの発端の誤解を解くにはそこに戻らなければならないが、すさまじい恐怖心から、思考は固まってしまっている。誤ったエゴは巨大な玉ねぎを剥くように、一枚ずつゆっくりとはがしていかなくてはならない。

こうしてACIMのワークは、あの手この手で「エゴの玉ねぎ」を剥く作業を促している。

レッスン124-私が神とひとつであることを、思い出せますように。

レッスン124は、ダイレクトの「私が神とひとつであることを、思い出せますように」というお題の元に、このコースでは初めて(たぶん)30分という長めの瞑想ワークが指示されている。

今日、あなたの上に平安あれ。神があなたとひとつであるように、あなたも創造主とひとつであると自覚する練習をして、あなたの平安を確実なものにしなさい。今日一日のうちの最適と思える時間に、自分が神とひとつであるという概念に半時間を捧げよう。

ワークをして

30分という長めのワークでは雑念がたくさん心をよぎっていく。

一つはやはり、赦しのむずかしさ。

前に知人にざわついた思いを持った時のことを思い出し、とっても些細なことなのだけど、それでさえ感情を流すことには時間がかかることを思った。

私はだいたいに自分の思うことを人に伝えるのが下手で、特にネガティブなことの場合はほとんど言えず内に飲み込む。「も~」と笑顔でユーモアを持ってツッめたりしたら、人生もっと軽やかなんだろうけど。

この世で日頃感じる心配、痛み、怒り、辛さは、ここにいる自分にとってはやはり現実でリアルだ。それを非現実として見て「だって実際には起っていないのだから」と心から思えることは、そう簡単ではないと感じる。

赦しの中でも、些細なものから大きな事故や事件に巻き込まれるようなもの、家族や自分の心身を大きく傷つけるものもある。こうしたことに直面した時、赦しはさらに相当厳しいものになるだろう。

ワークの終盤では、安らぎも感じた。いろいろ心配ごとや葛藤はあるけれど、こうしてACIMを学べていることは貴重だし有難い。

ずっと、「安心や幸せを得るために○○しよう」というような考えで来たけれど、そうではなくて、

「神に守られている今ここで、安心と幸せでいよう」と思いたいと思う。

ACIMとその周りのことをこつこつ学びたい。そういうことをゆっくり生きながらしていきたい。

そう思えている今この瞬間は幸せなんだなと思う。

アファメーション

清らかな自分に気けるように、心が鎮まりますように。