レッスン99-救済が、ここにいる私の唯一の機能である。

2017-04-18

もう4月18日。春だ。

先週は慌ただしかったこともあってまったくワークをしなかった。ワークの方は先週土曜のレッスン103で止まっている。

レッスン93からの「起きている間、1時間の最初の5分をワークに用いる」というのが、私にはなかなか負担できびしくワークから逃げていたというのが本当かな。再開したら、やらなきゃなんないから…。

そういう意味では十分羽根を伸ばせた気がする(エゴが?)。そろそろワークに戻ろう。

…ダイアリーブログの方は、レッスン99から。

って、レッスン99ってどんな内容だったか…。ノートを見たら4月3日にワークをしている。

レッスン99-救済が、ここにいる私の唯一の機能である。

レッスン99では、「救済が、ここにいる私の唯一の機能(はたらき)である。」と言い、「救済と赦しは同じものである。」と言っている。

「救済とは」を私はよくわかっていないけれど、要は日々の暮らしの中で赦しを実践することだと思う。それがすなわち救済になるのだと理解している。

私たちのゲンジツの世界では、本来ありえないものが「在る」とされていて、真理と幻想が対等になっている。それを真理だけを「在る」と認識すること。それが赦しだ。赦しがなされれば同時に幻想から救われる。

そこで頼るべきは聖霊だ。

聖霊はこの神の計画を、神から受け取ったそのままに、神の心とあなたの心の内に保持している。

聖霊は、依然として1つのことが間違いなく真実だと知っている。すなわち、神は今でも愛であり、今あなたが見ていることは、神の意志ではない、ということである。

レッスン99では、聖霊の導きを得て、起きている間以下の毎時5分のワークをする。

救済が、ここにいる私の唯一の機能である。

今でも神は愛であり、これ(私たちが見ている罪、苦痛、死、悲嘆など)は神の意志ではない。」

そして、聖霊から、「真の自己を知るために、何を学ぶことが必要か教えてもらいなさい」とある。

ワークをして

レッスン99をやって感じたのは、とにかく必要なのは1つずつ細かいことも含めて、赦すべきことを赦すことだな」ということだ。

その日はマンションの上階の方が亡くなられたばかりで悲しかった。赦すべきこととして、まずそのことが浮かんだ。

私たちが「神から分離した」と誤解しエゴに拠って生きるようになって、本来ならばありえない恐怖を感じている。

その最たるものが、神への恐怖と死への恐怖ではないかと思う。

私は昔から自分の体への執着が強く、死も人一倍恐れている気がする。それもあって、ご近所さんが亡くなったことに気持ちががたがたしてしまったのかもしれない。

私の人生の目標は、もしかしたら、自分の死に面して、死に怯えずに心穏やかでいられることかもしれない、と思った。真剣に訓練したら、そういう怖さも消えるものなのかな。

でも、怖いから、それを克服したいと思っているとしたら、それこそエゴの発想だ。そういう感覚とは別物なんだろう。気づいたらそういう恐怖はなくなっているというようなものではないか…。

死をリアルにしてしまっている自分の在り方を変えたい。

聖霊のメッセージを受け取る

レッスン99をやった夕方6時のメモには、「(私に必要なのは)、聖霊のメッセージをもっと心をオープンにして受け取ること。エゴの垣根で閉ざすのではなく」と書いている。

そして、次の7時のメモには「なぜ、聖霊のメッセージを聴けていないのか」と自問して、その答えに「聴いてしまって自分(と自分が思っているもの)を変えたくないんだ。」とあった。聖霊からの何らかのメッセージを受け取ったら、それに呼応して自分や自分の環境を変えなくてはならなくなる。それを恐れているのだ。

私…と思っているものは、この瞬間にもどんどん変わっているというのに、私は私という幻想に執着していたいんだ、と改めて気がついた。

エゴの執着を溶かして、聖霊の声を聴くというのが、ここ当面の課題かな。これ何回も書いているような気もする。