レッスン97-私は霊である。

2017-04-04

昨日は急な雷雨にびっくりしたけど、今日は春らしいよいお天気だった。

久しぶりに友だちと桜を見がてら神社に行き、ランチしておしゃべりした。人と一緒にいておしゃべりする、ということが、今の私には非日常的。ひとりで行動する独特の気の張りがなく、お店でもくつろいでいられた。それが私には恵みと癒しだった。

花見をしようと大勢の人出があった。風もここちよかった。なんでもないことをぐだぐだとおしゃべりできるありがたさ。

「今年の春の日」と取っておきたいような、なごんだやさしい風の日だった。感謝。

レッスン97:私は霊である。

レッスン97の主題概念は、「私は霊である。」

真の自己を、シンプルに自分に思い出させる。

毎時間に5分を、このために用いる。

私は霊であり、神聖な神の子である。あらゆる制限から自由であり、安全で、癒されていて、全一である。赦す自由と、世界を救う自由を持った神聖な神の子である。

この言葉を自分と世界に宣言する。

ワークをして

このワークをやったのは3月30日だったけど、毎時0分を意識して、目をつむり「自分は霊である。」と唱える。自分の心深く、霊である自分を感じようとする。

この世界から浮いたような、このワークを、今、実践できる環境にあること、実際にワークをしていられることが、恵みというか豊かさなんじゃないかな、と感じた。じゃまが入らず、内向できる空間と時間があってこそできることだ。

ワーク中は聖霊(さん?)を身近に感じた。なにか自分を見守ってくれている存在があるように感じた。それは思いのほか力強かった。

赦すことと、感謝と愛

そして必要なこと、求められていることは非常にシンプルなのだ、と確認した。

赦すことと、感謝と愛だ。

赦すことは文字どおり、ACIMでくりかえし説かれている赦し。そして、愛―これを感謝と愛と表現した。(私から見ると、この世でいう「愛」という言葉は、恋愛の愛や相手に求める条件付きの愛という意味合いを示すことも多い、今「感謝」という言葉で表すような感情が、本来の愛に近いんじゃないかなと)

だから、赦すことと、感謝と愛。

ACIMで求められていることはうーんと煮つめればこれじゃないのかな。私にはこの三語がわかりやすい。

それをなるたけ覚えていようと思う。

だけどこのシンプルなことがなかなか覚えていられない。

実践で大事なのは、この幻想のゲンジツの世で、何かがあって感情が乱れた時、「これは現実じゃない」と思い出して乱れた自分をいかにとりなすか、だ。

いくらACIMを読んでわかったつもりになっても、心が訓練されていないと、つい幻想の出来事と自分の感情に巻き込まれ、自分の心が投影して見せていることだとは思えず、全部がわからなくなってしまう。

小さなネガティブな感情にも気をつけて、なるたけ上機嫌でいることを実践したい。

それと、聖霊の声、メッセージに耳をかたむけること。

気づけば忘れているけど、心を鎮め聖霊に耳をかたむける。これも心に留めておきたい。