レッスン88-レッスン75、76の復習

2017-03-17

ワークをやった日と、それをダイアリーにする日とのかい離がまだ続いている。これは、3月7日と8日。もう10日位前にやったワークなんだなぁ。

3月11日には6年前の大震災当時を思い出し、気持ちがぐるぐるしてしまったけど、これもまたこの世で「神との分離」を再現しているのだ、これもまた他のことと同じ、赦すべきことなんだ、とあらためて思う。

「経済って何だろう」と、この世の経済のしくみに疑問…、のようなことを書いたけどそういえば、私は趣味でささやかに株式投資をしていて、その金融資本主義に便乗していた一人だった(^_^;)リーマンショック前に初めてその損失まだあり。儲けも出したいが、まず元に戻したい、と思ってちまちまやっている。会社の動き、世の中の動きと株価が複雑に絡んで動くの、よくわからないながらも、刺激的でおもしろい。

そして、これからも成長しそうでいいな、と思う株を先週末買っていた。ネット通販、公共料金のクレジットカード決済代行の会社だ。それが買った翌日に「不正アクセスと個人情報の流出」があったとニュースが…。ストップ安に~。あわあわ…。次の日、これからどうなるか見当がつかず、売り注文を出して外出した。

…で、売れてた。13.7万円の損確定。あわあわ…。

もちろん、これも幻想!!

気分を左右されることじゃない、と知ってる。もとい。

私って、、、。何やってんだか(>_<)

レッスン75:光は訪れている。

私がこの世で幻想ではなく、実相を生きるとはどういうことなんだろう。

ワークをしていて時々浮かんでくることは、「故郷に拠点を置く」ことだ。

これが聖霊に勧められていることかどうかわからない。けど、なんとな~く、高齢になった母の元にいた方がいいんじゃないか、と思う。

一方で少し抵抗も感じる。

家意識が強い北陸の故郷では、独り身で子どももいない私は肩身が狭い気がする。何らの「成果」もなく…、とも思ってしまう。どんな「成果」であれば許容されるというのだろう。

「故郷に拠点をもつ」…私の世界が広がることかもしれない。

その場合、どうやって生計を立てるのか。

親とはいえ、性格やリズムがまったくちがう今、一つ屋根の下で住む覚悟ももてないでいる。ただ、ワークをしていると、漠然とそうした方がいいのかな、と感じる。

それともう一つ感じるのは、私は「圧倒的に言葉が少ない」ということ。

ACIMは、究極的には「God is(神はある)」だ。だけど、それをそう説明するだけでは何ら意味はなさない。

これをこのゲンジツの世で表すには、いろいろな知識や言葉も必要かな、と感じる。ACIMを仏教と比較したら、とか、今の私にはまったく説明できないし。

歴史も、経済も、一般常識的なことも、ここ数年何でも「幻想だから」とやりすごし過ぎた感があるから、勉強したい、と思った。その方法として、放送大学とかもいいかな、などと思った。この春は間に合わないけど、また考えてみよう。

レッスン76:私はただ神の法則のもとにある。

むか~し、占いに興味があり、初めてタロットを買った日、裏返したたくさんのカードから「自分のカードを選ぼう」と無作為に一枚取った。

それは「星(スター)」というカードで、そのシンボルは“水を運ぶ人”、“チャネルの役割”。手にした水がめから水を浴びるような女性の絵がやわらかくて美しくて、それから自分のテーマも“水を運ぶ人”だ、と思うようになった。

当時、そのココロもいろいろ考えた。水は生命力や癒しや深層の感情を表わしていて、そうしたものを目の前の人に“運ぶ”ことを天命としたいのかなと考えた(大げさだけど)。

数年前ACIMと出会い、ACIMについて“水を運ぶ人”になりたいと思った。

でも、そうならば、そのはたらきに、もっともっと意識的になって、変えることがたくさんあるんだろうな。今の私はエゴの執着の元にある気がする。

『神の使者』に、

学び始めの頃は、「何かを捨てよ」と言われている気がする。が、ただそれらが無価値だと認識されるだけである、みたいなくだりがあったけど、

今も、何かを手放せと言われている気がする。そして、それを認めることに怯えというか、居心地の悪さを感じる。

東京ひとり暮らし、地位もお金もなく楽な立場ではあるけど、ふと思うと、その気楽な立場に執着があるんだな~

ACIMの勉強を始めて今年で5年目になるのか…短い長いのかわからない。濃いか薄いかもよくわからない。

完全に私を守ってくれる神の法則を大事なものと思いつつ、未だに怯えのようなものを感じている私。

一生こうしてこわいのかな。

ACIMを学んでいるというお題目を掲げつつ、神から逃げている?