レッスン61-私は世の光である。

2016-09-22

レッスン61―私は世の光である。

最初の「エゴの解体」段階を修了し、レッスン61から、真のアイデンティティに近づく段階に入るのだなぁ。

               *   *   *

「あなたは世の光です」…こう言われたら、ふつうの人はどう反応するだろう?

「いえいえ、そんな…。」「御冗談を…」「何言ってんの?」

という感じだろうか。

ACIM、レッスン61は、「この主題概念はあなた自身についての真理を述べているにすぎない。」と言い、私たちは「謙遜」と「自己卑下」を取り違えているという。

エゴが「あなたは世の光」と聞いたら「褒められた」ように感じるかもしれないが、そうではない、これは私たちに神から与えられた真理なのだから、「真の謙遜は、あなたが今日の概念を受け入れることを要求する。」と。

では、「世の光」とはどういうことだろう。

これに思いをはせるのが、今日のワークだった。

小林麻央さんの生きる姿勢

私は、ふと小林麻央さんのことを思っていた。

小林麻央さんは2014年秋から乳がんで闘病中だと報じられていたが、9月1日にご自身のブログを開設された。

「なりたい自分になる」というタイトルで始まったブログは、病院の医師から「癌の陰に隠れないで」と言われたことで心を動かされ、ブログを開設しようと思ったとつづられている。

私はブログの開設はニュースで聞いていた、最近ひょんなことから夫の海老蔵さんのブログを通じて、ご本人のブログを拝見した。

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そこには入院中の自撮り写真があった。その姿に以前タレントとして活躍されておられた頃とのギャップを感じ、びっくりした。かわいらしい顔立ちはそのままだけど、抗癌剤の影響もあるのだろう、以前と比べるとやつれて顔色も悪く感じられ、やはり重い病との闘病中なのだと感じさせられた。

しかし、それより衝撃を受けたのは、麻央さんの姿勢だ。

病気でなくとも自分をさらすというのは、とても負荷がかかる行為だ。著名人ならなおさら。善意だけではなく好奇の目にもさらされる。それを「病気の影に隠れない」という思いの元に、自分を見せるというのはなかなかできることではないな~と思ったのだ。

しかも、「敬老の日」のブログには、

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「す、す、すごすぎます!!」と「敬老の日ということで、すごく豪華です。私、おばぁちゃんではないけれど、恩恵を被り、感謝します。」と日々のささやかなできごとに喜び、感謝までしてる!

私は、小林麻央さんという人は、いつも「きれいにしている人」だな~と思っていたけど、このブログを拝見して「美しい人」だなと思った。

中途半端なプライドに囚われていては、ぜったいにできないことだと思うから。

彼女のプライドは母としてというものあるのか。元々の人間力なのか。

私は「存在の美しい人が憧れ」と思っていたけど、いったいどういうのを「存在が美しい」のかよくわからなかったけど、彼女の在り方は美しいと思った。

私と同じように、その在り方に共鳴して勇気づけられたは多いのではないだろうか。そのブログには何万人もの人が「いいね!」と押し、何千人もの人が「コメント」している。

子どもと手をつないでいる写真を載せた日は「昨日は最高でした!」と言い、日常の「あたりまえ」の「最高」を気づかせてもくれる。

彼女はブログを通して「病気の影」から出たことで「世の光」としてみんなを照らしたのでは…?ワークをしていて、ふとそんなことを思ったのだ。

そして、誰だって、どんな状況にあっても、世の光であることはできるのだ。

さて…その気づきをどう生かそうか。

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