レッスン49-神の声は、一日中、私に語りかける。

2016-08-08

レッスン49―神の声は、一日中、私に語りかける。

私たちの心の奥底には、誰しも神とのつながりをもった聖なる部分があり、神とのチャネルになっている。そこに宿っているホーリースピリット(昨日読んだ本で『聖霊』というとキリスト教的な表現だから『ホーリースピリット』の方が適切…というような記述があったから、私も『ホーリースピリット』と書こう)は神の使者であり、自分が気づこうが気づくまいが、常に私たちに語りかけている。

その声に意識的に耳を傾けようというのが、レッスン49だ。ふだん、私たちはエゴの大きな声に遮られてちゃんとホーリースピリットの声がキャッチできているとは言いがたい。

「この新商品を買えば、より幸せになれますよ」「こんなスイーツが流行りだって」「やっぱりダイエットしなきゃ」「こうすればモテる」「この夏ぜったいこのスポットに行かなきゃ」…世間は刺激を与えて煽ろうとする情報に溢れている。

もういい歳になったから、こうしたものに振り回されることはなくなったけど、今度は「気をつけろ、これが重病のサインだ」「○○を食べてお肌の若返り」といった健康、アンチエイジング系の情報にくぎ付けになったりしている。

こうしたエゴの声を超えて、心の中の真理に耳を傾ける。

「あなたに愛を込めて呼びかける神の声を聞こうとしてみなさい。」「深い静寂の中で耳を傾けよう。じっと静まり、心を聞きなさい。」「耳障りな叫びや病んだ想像をすべて通り越して進みなさい。」

「あなたはこの世界に生きているのではない。私たちはあなたの真の故郷に戻ろうとしている。」

「感謝の表現が足りない」というメッセージを受け取る!?

こうした声を聞くワークでは、自分がちゃんと聞けているのかそうでないのか、よくわからない。未だによくわかっていない。声が聞けるといっても、耳元でささやきが聞こえるというわけではないだろうから。

ただ瞑想ワークをやった後に、ふと感じることや思うことがあって、それがメッセージなのかな、と思っている。

昨日このワークをやった際(初回)には、

「私には感謝の表現が足りないんだ」と感じた。

ホーリースピリットの視点で言えば「もっともっと感謝のきもちを表現しなさい」ということになるのだろうか。

神とは愛であり、その愛はこの世で使われる「愛」より「感謝」の感じに近いのでは、と思っている。日々感謝の気持ちで満たされていることは、ホーリースピリットの視点で見ることそのものと言ってもいいだろう。

感謝の気持ちが大事なのはわかっているつもりだったけど、「(あなたは)思い出した時にスポット的に感謝するだけ、しかもあまり表現していない。感謝の流れがない」と(伝えられているように)感じた。

「とかく不平不満や欠けていて不安な部分に意識が行きがちだけど、そうではなく、常に今あるもの、与えれているものに感謝し、それを表わす。それを表し続けること」と。

私はいろいろ不安に思っているけど、それは幻のゲンジツを判断することでそれをリアルにしてしまっているだけ。そうではなく神の世界に溢れるものに目を向けるべきなんだ。

2回目の瞑想ワークでは、

「何かに対して不安に思ったら(たいがい思っている)」、それを逆転して「今あるものに感謝して、やるべき行動を進めること」と感じた。さらに「指針はすでに与えられている」と。

そうなのかな…。そうかもしれない。

ふと思い出したが、お仕事をいただいている会社からの暑中見舞い、返事も出さないうちに立秋を過ぎた。感謝を表すどころか不義理をしているのが私なのだ。「残暑見舞い」を出そう、今から。

しかし、「暦の上では秋」なんて感じじゃない。温暖化?で、昔の暦と合わなくなってきているのかな?今週はとくに猛暑注意らしい。

できたら、短くてもいいから、毎日ダイアリーを更新したい。毎日は無理でも週4、5回は更新したい、と思う。