レッスン48-恐れるべきものは何もない。

2016-08-05

レッスン48-恐れるべきものは何もない(There is nothing to fear. )

レッスン48は、この「恐れるべきものは何もない。」という主題概念を一日の中でできる限りたびたび繰り返す。それだけ。

そして、特に重要なことは、「何かがあなたの心の平安を乱すならば、ただちにこの概念を使うということである。」とある。

「真理においては、恐れるべきものは何もない。」「しかし、幻想が真実であってほしいと思っている者にとっては、これを認識することは非常に難しい。」

確かに…。

私が一回めのワークで、このレッスン48をやったのはいつだったかな?とノートを見てみたら、2013年8月21日だった。3年前の夏だったんだ。

「恐れは幻想だ」と頭の中で知っていても恐れは小さくはならない。ワークブックを実践することで少しずつ訓練されていく。自分自身少しは変わっているのかな?と改めて思い返してみたら、心の中の「恐れ」は少しだけど小さくなっている気がした。

というのは、一昨年から歯医者に通い始めることができたから。そして今年の1月にようやく治療を終えることができたから。

怖~かった歯医者に行けた!

歯医者さんが好きという人はほとんどいないと思うけど、私は“前世”なのか幼い頃のトラウマなのか、歯医者さんがものすごく苦手で、とくに神経的なピッとした痛みが「今来るか、来るか…」と思う恐怖、そのことに精神的に耐えられなくなってしまう。ようするにパニックなのか…。

2003年、新橋の歯医者さんで何の説明もなくペンチみたいな道具で歯をもぎ取られ(女医さんだった、たぶん、もうだめな歯を抜糸の前に上部だけ取るつもりだったか)、そこから途中で逃げ出して(次の予約をすっぽかした)から、まともに歯医者さんにかかっていない。

10年間、毎年「新年の目標」に「歯を治す」と挙げつつも、どうにも予約ができなかったのだ。

それが、虫歯の痛みがでて、意を決して歯医者さんをネットで探して行ったのが、2014年の8月。長年の放置の上ようやく門を叩いた私に、院長先生は厳かな声で「(嫌だから怖いからと先延ばしにする)あなたの考え方では、何本歯があっても足りないよ。今日を境に考え方そのものを変えよう」と言われた。私は、そうしよう、と思った。

それから1年半、抜糸から始まり、昔の治療の詰め物をとって治療、新しい人工歯を作って詰め、助けることができなかった上の奥歯はインプラントの手術をして…という私にとっては長い道のりを終えることができた。

もちろん、とっても怖かった。耳元でキーンという歯科独特の金属音を聞いただけで心臓がバクバクしたが、「これは幻想だ、幻想だ、恐れるべきものは何もない、幻想だ」と言って耐えた…、が、この“呪文”に即効性はなく、やっぱり怖くて、「アーテン、助けて」(『神の使者』内のアサンディッドマスター(聖霊)のうち男性の方の名前)を唱えながら、こぶしをにぎって固まっていた。

恐れが小さくなるとゲンジツも変わる

現場の恐怖感は大きかったけど、その大元の恐れは少し小さくなっていたからこそ、最後まで通い切れたように思う。…というより、恐れが小さくなったからこそ、自分の幻想の中で「虫歯の痛み」というきっかけを作り、自分を歯科医に向かわせたような気がしている。

長かった一年半だけど、歯が治療され口の中が健康なことは、なんて気持ちがいいことなんだろう。それだけで自分に自信がついた(正確には、自信のなさが小さくなった)。

ACIMは、この世は現実ではない、幻影を映し出した「結果」の世界だというが、ACIMのワークをやることで「原因」の世界が変わる。その結果、この幻想の世(私はゲンジツと呼んでいる)も変わるのだ。少しずつ「生きやすく」なってきている気がする。

私は、人一倍恐れが強く、またエゴへの執着も強い。でも、これからも少しずつゆっくりやっていこうと、ふりかえって思う。