だれにむけて、何を?

2016-02-08

 先週の金曜日、電車とバスを乗りついで、知人の元経営コンサルタントの先生のところにおじゃました。先生とは直接仕事で関わったというわけではないが、ご縁があって、近年は年に数回お目にかかっている。

 齢80ウン歳だが、いつも前向きで向上心にあふれ、こういう歳の重ね方をしたいと、尊敬している方だ。現在はひとり暮らしで、施設に入居されている奥様を老々介護しておられる。

 その先生が、以前コンサルティングをしていた会社の社長からの依頼で、その会社の社史を作っているのだと、ラフ原稿を見せてくださった。

 そして、私に、「この原稿の校正をしてくれないか」とおっしゃった。

 私は、たまに「文を書く」仕事もしているが、校正はやったことがない。でも「他に頼む人もないし、出来不出来はいいから」と言われ、原稿とデータを預かってきてしまった。

 しかし…何をしたらいいんだろう。これを抱え込んでじっくりやったところで、正確な仕事ができるわけではない。だったら、私のところで止めるより、早さだ、と週末すごい勢いでやっつけた。

 …といっても、できることは限られていて、最近は本であまり見かけない難しい漢字が多かったので、

且つ⇒かつ、漸く⇒ようやく…とひらがなにして、数字や日付の書き方を統一、長文を分割したくらいだ。

150pからなる社史は、創業の経緯や経営理念や業績などが載っていて、一代で起業し成長させた社長のパワーを感じた。創業者の歩みを社史という形でここまでまとめるのも、かなりのエネルギーが要っただろうと思われた。

 でも、読みながら、これは、いったい、

「だれが、だれに、何を伝えたいのだろう?」

 ―と、素朴な疑問がわいてきた。

 たんに会社の記録であって、社長の自己満足的なものなのかな?

 だったら、別にいいのだけど。そもそも「何のために だれにむけて」書かれているんだろう。

 その会社のことを知らず、始めて「社史」を読んだ私にはよくわからなかった。そして、それを「指摘」してよいのかもわからなかった。

 けど、「あまりお役に立てずにすみません」という言葉と合わせて、気になったところとしてメモを入れて、「校正後原稿」を宅配便で送った。

 …そのあと、ぼーっと考えていたら、

 「だれに、何を伝えたいのか」があいまいなのは、このブログもおんなじだな、と思いあたった。

 自己満足的な記録ならいいけど、何のためにだれに向けて書かれているんだろう?

 とは、まさにこの『奇跡講座ダイアリー』に向けて私が発するひとりごとのようだ。本当の日記ならいいけど、ブログとして他の人にも開示するんだったら、いったいにだれに向けて?

 それが、いまひとつ自分でも定まらない。それ以前に何を伝えたいか、というのも。伝えないことがあるような、そんな自信はないような。

 それでも…。

 はじめの一歩は自己満足的でもいいではないか、と思い返した。もしかしたら、そのうちにもっとクリアになるかもしれない。

 先生からは、私の視点からの意見に対し「矢張り頼んでよかった」とメールが来た。さらにいろんな人の目や手が加わって練っていけば、もっと意義が明確になり充実していくだろう。

 私のほうも、細々とても続けていけば、まったくやらないよりは、いいはずだ。意義なしとわかれば止めればいいし、続けられれば、もしかしたら、どこかに着けるかもしれない。

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